扇谷上杉管領屋敷

扇谷上杉管領屋敷おうぎがやつうえすぎかんれいやしき
神奈川県鎌倉市扇ガ谷2丁目
Mapion

--屋敷址碑--
別名  
交通 JR横須賀線「鎌倉駅」から徒歩20分。
築城年代  
築城者 扇谷上杉氏
形式 屋敷
主な城主 扇谷上杉氏
内大臣藤原高藤から13代重房は、将軍宗尊親王に従って鎌倉に下向し、丹波国上杉荘を賜ると上杉を称する。その後重房の孫清子が足利貞氏に嫁ぎ、尊氏・直義兄弟を生むと、一族は重用され、鎌倉公方の執事として活躍した。
重房から5代顕定がこの地に移ると、地名から扇谷を名乗り、扇谷上杉の祖となる。
1469〜1487年(文明年間)扇谷6代目定正は、太田道灌を用いて勢力を伸ばした。
1546年(天文15)川越夜戦で後北条氏に敗れ、朝定は討死し、扇谷上杉氏は滅亡した。

参考文献 「現地石碑文」
訪城回数 1
2007年6月