1531年(享禄4)1月、武田信虎が扇谷上杉朝興と結んだ事により、重臣飯富兵部・栗原兵庫・今井信元・大井信業らは連合し、御岳山中に入り諏訪氏の援助を得て、反旗を翻す。信虎は諏訪勢の侵入に備え、諏訪下社牢人衆に命じ、この笹尾塁を築かせたが自落した。 八ヶ岳麓西を流れる釜無川左岸の急崖(七里岩)上に位置し、この地は甲斐・信濃の国境である為、戦国期には特に重要な地帯であった。 信玄の頃には烽火台や下棒道の監視の役割を持っていたと考えられる。 |
参考文献 「現地案内板」
「長野・山梨の城郭 新人物往来社」訪城回数 1 2006年10月
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