里見館

里見館さとみやかた
群馬県高崎市中里見町
Mapion
光明寺地図

--土塁--
別名     
交通 各線「高崎駅」からバス「中里見」下車。
築城年代 平安時代末期?
築城者 里見義俊?
形式
主な城主 里見氏
里見は新田氏一族である里見氏発祥の地とされる。平安時代末期、新田義重の子である義俊が所領したが、この館に住したかは不明で、その居館地は確認されていない。南北朝時代末期、里見には里見義時が在り、義時の里見における核堡とも考えられ、義俊との関連は断定出来ないという。その後長野氏配下に里見を名乗る土豪衆がおり、その末裔か、現在も里見姓の家が居住している。
「堀の内」が館跡で北西隅に土塁が残されている。西側に隣接する光明寺は里見氏菩提寺で、一画に在った智泉院を中心として里見氏塁代が祀られていたとみられる。
西堀跡 光明寺 智泉院旧跡碑

参考文献   「信濃をめぐる境目の山城と館 上野編 戎光祥出版」
  「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年3月