狭山藩陣屋

狭山藩陣屋さやまはんじんや
大阪府大阪狭山市狭山3丁目
Mapion

--狭山藩陣屋跡碑--
別名    
交通 南海高野線「大阪狭山市駅」から徒歩10分。
築城年代 1616年(元和2)
築城者 北条氏信
形式 陣屋
主な城主 北条氏
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めに敗れた相模国小田原城主後北条氏5代氏直は徳川家康の娘婿であった事から助命され、紀伊国高野山へ追放となった。1591年(天正19)氏直は家康の仲介により1万1千石の大名に復帰するが、同年大坂で病死した。氏直の跡を継いだ北条氏盛(北条氏規の子)は初め4千石、更に1600年(慶長5)氏規の遺領河内7千石、計1万1千石を領有した。
1608年(慶長13)氏盛が没し、その子氏信が跡を継ぐと、1616年(元和2)狭山陣屋の建造が開始され、3代氏宗の時に上屋敷が完成した。この陣屋の建造により狭山藩は実質的に開かれた。
以後北条氏が代々続き、12代氏恭の時に明治維新を迎え、陣屋の機能は停止された。
一帯は宅地化されており、狭山第5公園前に案内板、東幼稚園東道路沿いに碑が立つのみとなっている。

参考文献 「現地案内板」
                    「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2017年1月