千利休屋敷

千利休屋敷せんのりきゅうやしき
大阪府堺市堺区宿院町西1丁
Mapion

--屋敷跡--
別名         
交通 阪堺電気軌道阪堺線「宿院駅」から徒歩3分。
築城年代 戦国時代
築城者 千利休
形式 屋敷
主な城主 千利休
戦国時代の茶人千利休屋敷跡。1522年(永正2)納屋衆田中与兵衛の長男としてこの地で生まれた利休は幼名は与四郎という。10代の頃から茶の湯を好み、はじめ堺の長老北向道陳について茶を学び、次いで武野紹鴎に入門し、「わび茶」を学んだ。
1568年(永禄11)織田信長が上洛すると、利休は今井宗久や津田宗及と共に茶頭衆として仕え、1570年(元亀1)信長の御前で茶を点てている。
1582年(天正10)本能寺の変後、豊臣秀吉に仕え、1587年(天正15)九州征伐、1590年(天正18)小田原征伐にも従軍するが、1591年(天正19)理由は諸説あり、不明だが、突如秀吉に切腹を命じられた。

参考文献 「現地案内板」
               「歴史群像シリーズ 学研」
訪城回数 1
2017年1月