志津城

志津城しづじょう
千葉県佐倉市上志津
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--天御中主神社境内--
別名      
交通 京成本線「志津駅」から徒歩15分。
築城年代     
築城者    
形式 丘城
主な城主 志津胤氏
築城年代は不明だが、臼井城主4代臼井昌胤の2男で5代臼井祐胤の弟である志津胤氏が居城したとされる。
1314年(正和3)祐胤が病没する際、胤氏は幼児竹若丸の後見を託される。しかし胤氏は竹若丸を殺害し、実権を握ろうと企てた。それを知った竹若丸の乳母である阿辰は岩戸城主岩戸胤安に告げ、竹若丸を鎌倉の建長寺に逃したが、阿辰と胤安は胤氏に討たれたという。
その後鎌倉で成長した竹若丸は臼井興胤と称し、足利尊氏に従って戦功を立て、臼井城に復帰した。そして1340年(暦応3)8月14日、興胤は志津城を攻め落とし、胤氏は自害、志津城は廃城になったといわれる。
上志津字御屋敷の台地上に志津城は在ったとされ、一帯は宅地化されているが、天御主神社付近に僅かに堀跡と思われる地形が確認出来る。また付近には的場・道場等の地名が残されている。
天御中主神社 天御中主神社社殿 堀跡か
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円応寺・臼井興胤(竹若丸)墓
円応寺・岩戸胤安墓 Mapion
阿辰墓

参考文献 「房総の古城址めぐり 有峰書店」
           「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2021年11月