四王司山城

四王司山城しおうじやまじょう
山口県下関市田倉
Mapion
登山口地図

--南西から城址遠望--
別名         
交通 各線「新下関駅」からバス「田倉」下車。
地図の地点、勝山御殿裏手から登山道があります。
築城年代 南北朝時代
築城者 厚東氏
形式 山城
主な城主 厚東義武
築城年代は不明だが、南北朝時代、四王司山城を舞台に、周防守護大内氏と長門守護厚東氏による抗争が度々繰り広げられた。
1351年(正平6)大内弘世に敗れた厚東武村がこの地で自刃している。
1358年(正平13)1月2日、弘世の攻撃を受け、本拠霜降城を追われた厚東義武は豊前国に逃れるが、1359年(正平14)12月、四王司山城に拠って挙兵した。しかし26日の合戦で弘世に敗れると再び九州へ逃れたとされる。その後弘世は義武に代わって長門守護職も兼ねるようになり、防長両国を平定した。
標高392メートル四王司山山頂に位置する。山頂には四王司神社が建立されており、特に土塁や堀は見当たらず、平場が残るだけとなっている。
毘沙門堂跡 厚東武村墓 山頂
四王司神社 石積みもあるが遺構かは不明 曲輪跡

参考文献 「現地案内板」
                        「鳥取・島根・山口の城郭 新人物往来社」 
訪城回数 1
2015年3月