築城年代は不明だが、南北朝時代、四王司山城を舞台に、周防守護大内氏と長門守護厚東氏による抗争が度々繰り広げられた。 1351年(正平6)大内弘世に敗れた厚東武村がこの地で自刃している。 1358年(正平13)1月2日、弘世の攻撃を受け、本拠霜降城を追われた厚東義武は豊前国に逃れるが、1359年(正平14)12月、四王司山城に拠って挙兵した。しかし26日の合戦で弘世に敗れると再び九州へ逃れたとされる。その後弘世は義武に代わって長門守護職も兼ねるようになり、防長両国を平定した。 標高392メートル四王司山山頂に位置する。山頂には四王司神社が建立されており、特に土塁や堀は見当たらず、平場が残るだけとなっている。 |