朱印船貿易で名を馳せ、長崎代官を務めた末次平蔵政直屋敷跡。 長崎代官は1590年(天正18)豊臣秀吉に任命された鍋島直茂がその最初で、後任に村山等安が任ぜられた。しかし1619年(元和5)等安が大坂の陣の時、大坂方に通じていたという嫌疑で処刑されると、末次平蔵政直が任命され、以後末次氏は4代代官職を務めた。そしてこの政直屋敷は長崎代官屋敷として代々引き継がれた。 1676年(延宝4)4代茂朝の時、密貿易が発覚し、茂朝父子や一族は流罪となり、財産は没収され、末次氏は断絶した。その後代官職はしばらく町年寄が代行し、1739年(元文4)高木忠興が任命されると、以後高木氏が世襲した。 桜町小学校校門前に碑が立ち、グラウンド隅には井戸が残されている。 |