末次平蔵屋敷

末次平蔵屋敷すえつぐへいぞうやしき
長崎県長崎市勝山町
Mapion

--末次平蔵宅跡碑--
別名 長崎代官屋敷
交通 JR長崎本線「長崎駅」から徒歩10分。
築城年代 江戸時代
築城者 末次平蔵政直
形式 屋敷
主な城主 末次氏
朱印船貿易で名を馳せ、長崎代官を務めた末次平蔵政直屋敷跡。
長崎代官は1590年(天正18)豊臣秀吉に任命された鍋島直茂がその最初で、後任に村山等安が任ぜられた。しかし1619年(元和5)等安が大坂の陣の時、大坂方に通じていたという嫌疑で処刑されると、末次平蔵政直が任命され、以後末次氏は4代代官職を務めた。そしてこの政直屋敷は長崎代官屋敷として代々引き継がれた。
1676年(延宝4)4代茂朝の時、密貿易が発覚し、茂朝父子や一族は流罪となり、財産は没収され、末次氏は断絶した。その後代官職はしばらく町年寄が代行し、1739年(元文4)高木忠興が任命されると、以後高木氏が世襲した。
桜町小学校校門前に碑が立ち、グラウンド隅には井戸が残されている。

参考文献 「現地案内板」
                      「図説長崎歴史散歩 河出書房新社」
訪城回数 1
2017年1月