岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所 --義経堂-- |
別名 | 判官館 |
交通 | JR東北本線「平泉駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 平安時代 |
築城者 | 藤原氏 |
形式 | 館 |
主な城主 | 源義経 |
柳之御所の北西地続きに位置し、藤原氏初代清衡の頃からこの一帯は要害地とされていたという。 源平合戦の後、兄の源頼朝に追われた源義経は、藤原氏の庇護の下、平泉に在ったが、1189年(文治5)頼朝の圧迫に耐えかねた泰衡は義経を「衣河館」に攻め、自害させた。この「衣河館」が高館であったといわれ、現地でも義経終焉の地としているが明らかではない。一部堀や土塁が残されている事から戦国時代の館跡とも考えられている。 山頂には1683年(天和3)仙台藩主伊達綱村が義経を偲んで建てた義経堂があり、木像が安置されている。他に「衣川館」比定地として、白鳥館や安倍館が挙げられるが、現在最も有力視されるのが接待館とされている。また1689年(元禄2)平泉を訪れた松尾芭蕉は高館で「夏草や 兵共が 夢の跡」の句を詠んだといい、句碑が立つ。 |
源義経供養塔 | 北側の眺め | 堀切 |