東京都日野市高幡 --三郭-- |
別名 | |
交通 | 京王線「高幡不動駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | |
築城者 | 平山氏か |
形式 | 山城 |
主な城主 | 高幡十右衛門 |
高幡城についての記録は見当たらないが、1455年(享徳4)関東公方足利成氏と関東管領山内上杉・扇谷上杉連合軍が、分倍河原や立河原で戦い(第1次立河原合戦)、上杉方先鋒犬懸上杉憲秋(憲顕)は敗れ、高幡不動まで逃れて自刃している事から、15世紀中期には存在していたと見られる。 1504年(永正1)9月、第2次立河原合戦もこの城の眼下の広野で展開されており、この時高幡城は再び利用されたと考えられる。 戦国末期には八王子城主北条氏照の家臣、高幡十右衛門が居城したと伝わる。 高幡不動裏山不動ヶ丘が城址。山内八十八ヶ所巡拝コースとなっており、改変されている箇所もあるようだが、郭の形状は比較的良く残されている。またほとんど埋もれているが、竪堀や堀切も確認出来る。 |
高幡不動境内に建つ上杉堂 上杉憲秋(憲顕)墓所 |
二郭・三郭間堀切跡 斜面に竪堀が残る |
二郭竪堀 |
主郭 | 馬場跡 | 見張台跡 |