立川氏館

立川氏館たちかわしやかた
東京都立川市柴崎4丁目
Mapion

--普済寺・土塁--
別名  
交通 JR中央本線「立川駅」から徒歩25分。
築城年代 鎌倉時代
築城者 立河(川)氏
形式
主な城主 立河(川)氏
武蔵七党の一つ西党日奉氏の支族で、この地を治めていた豪族立川氏居館跡とされ、立川宮内大夫宗恒が居城を構えた事に始まるといわれる。
戦国時代、立川氏は後北条氏に従うが、1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、普済寺は豊臣勢に焼き払われた。後北条氏滅亡後、立川氏は浪人となるが、その後関東に入封した徳川家康に召抱えられ、水戸藩士になったという。
館址は普済寺境内となり、土塁が残されている。
境内にある立川宗恒墓所
立川合戦の首塚ともいわれる
南側を流れる川

参考文献 「現地案内板」
                    「東京・埼玉の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2007年7月