1429〜40年(永享年間)諏訪三河守が築いたとされ、以来5代諏訪氏が続いた。諏訪氏については信濃の豪族諏訪氏の支流と推測されるのみで、詳しい事は不明である。諏訪三河守の名は各文献に散見されるが、時代の開きがあり同一人物とは考えられず、諏訪氏は代々三河守(馬之助)を名乗っていたと思われる。 戦国時代、諏訪氏は後北条氏に従い、1569年(永禄12)10月、武田信玄による小田原侵攻の際、寺尾城は攻められ、落城したとされる。 一帯は宅地化されているが、殿山公園内に僅かに竪堀・土塁が確認出来る。また付近には寺尾城主5代目馬之丞が馬術の神託を受け、祈願成就した馬場稲荷や刀や馬蹄金具を造っていたとされる鍛冶屋敷跡、諏訪氏菩提寺といわれる健功寺や諏訪坂等の地名が残されている。 |