武蔵七党の1つである丹党の流れを汲む勅使河原氏居館跡。 勅使河原氏は1075年(承保2)頃、秩父丹五基房を父とする勅使河原丹次郎直時がこの地に移居し、地名を以て家号とした事に始まるという。直時の子を弥四郎直兼と称し、その子権三郎有直・四郎有則は共に源頼朝に仕え、一族の活躍は「盛衰記」・「吾妻鏡」・「太平記」にみえる。 1338年(建武5)室町幕府が成立すると南朝方に与した勅使河原氏一族は難を逃れる為、この地を去ったという。 有直創建とされる大光寺が館址。境内には土塁の一部が残り、一族の墓所がある。 |