JR湯河原駅から城願寺にかけての一帯は城堀・堀の内と呼ばれ、土肥次郎実平の館があったとされている。 1180年(治承4)8月、源頼朝が挙兵すると、実平はそれに従った。実平の支援を受けた頼朝は土肥から関東に入るが、8月23日石橋山で大庭景親と争い敗れた。実平は敗れた頼朝を匿い、真鶴の岩崎から自ら船を漕ぎ、夜中に頼朝を乗せ、安房へ送ったといわれる。 10月頼朝が鎌倉に入ると、実平は平家追討の軍艦として源義経らに従い、西国で活躍した。 実平の子、遠平も頼朝の下で活躍するが、遠平の子である惟平は、1213年(建暦3)和田義盛の乱の際、義盛に加担、自害すると一族は安芸へ移った。後の戦国期安芸で活躍した小早川氏は土肥氏の主流を祖としている。 |