平安時代末期頃の築城で、1181年(養和1)6月、木曽義仲が越後の城資職と争った際(横田河原合戦)に利用され、その後義仲は北陸に資職を追い、平定した後もこの横田城に居住したという。 また1400年(応永7)信濃守護小笠原長秀と村上満信・大文字一揆らが争った際(大塔合戦)には長秀がこの城に籠もっている。 戦国時代、川中島合戦の際には、武田信玄が5日間本陣を置いたといわれる。 往時は二重、三重に堀を巡らせた環濠式平城であったと考えられる。南北180メートル・東西230メートルの外堀内部は環濠集落になっており、屋敷割りがみられる。 |