平安時代末期、この地の領主であった善波氏館跡。善波左衛門善氏の子太郎重氏は一時善氏から勘当され、坂東諸寺を巡礼し、やがてこの地に帰ると、悪臣に領地を横領されていた。重氏は再び諸国を転々とし、熊野の六太兵衛の娘竹美姫と結婚、再び善波に戻り悪臣を討ったという。 1254年(建長6)重氏の子又次郎が北条氏より幕府小侍所衆に召抱えられている。その後善波氏は代々続き、江戸時代善波宗家が滅びると、一族である飯塚氏が総領となり、三嶋神社の神主を務めたという。 三嶋神社境内、または東へ下った平坦地が館址とされる。境内には善波一族館址碑が立ち、また重氏・竹美姫・六太兵衛を祭神とする三柱が建立されている。 |