安倍城

安倍城あべじょう
静岡県静岡市葵区羽鳥
Mapion

--城址碑--
別名 安倍本城
交通 JR東海道本線「静岡駅」からバス「羽鳥」下車。
バス停から登山口のある洞慶院まで徒歩15分。
築城年代 1336年(建武3)
築城者 狩野貞長
形式 山城
主な城主 狩野貞長
1336年(建武3)内牧を本拠とする南朝方狩野貞長により築かれたといわれ、遠江国井伊氏の三岳城と並ぶ南朝方の拠点となり、北朝方の今川氏と争った。
1338年(暦応1)今川範国は安倍城を攻めているが詳細は不明。
1343年(康永2)東国における南朝方拠点である常陸国関常陸国大宝両城が陥落すると興良親王は安倍城に拠り、その後信濃大河原から宗良親王も入ると駿河南朝方の意気は上がるが、今川氏により次第に追い詰められていき、1392年(明徳3)南北朝統一後、狩野氏は今川氏に服する。
1433年(永享5)今川範政没後、子である範忠の相続を巡り、範忠を支持する室町幕府と千代秋丸を支持する鎌倉公方足利持氏は対立した。狩野氏は反範忠派に加担し、今川館を攻めるが、今川貞秋らに反撃され敗走、湯島城に籠るが、間も無く攻略されると、狩野一族は四散して帰農したといわれる。その後の安倍城について詳細は不明だが、廃城になったものと思われる。
標高435メートルの山頂を本丸を中心とし、東西に曲輪や堀切が築かれ、西の峰には久住砦が設けられている。
西堀切 西曲輪 本丸
本丸からの眺め 本丸東段曲輪 本丸・二の丸間堀切
二の丸 二の丸・三の丸間堀切 三の丸

参考文献 「現地案内板」
                      「駿遠豆古城歴史紀行 明文出版社」
                         「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年4月