安達盛長屋敷

安達盛長屋敷あだちもりながやしき
神奈川県鎌倉市長谷1丁目
Mapion

--甘縄神明宮に立つ屋敷址碑--
別名 甘縄館
交通 江ノ島電鉄線「長谷駅」から徒歩5分。
築城年代 平安時代末期
築城者 安達盛長
形式 屋敷
主な城主 安達氏
源頼朝に仕えた鎌倉幕府有力御家人の一人安達盛長屋敷跡。
盛長は頼朝の乳母比丘尼の娘を妻とし、頼朝の伊豆配流時代から側近として活躍、奥州藤原討伐、2度の頼朝上洛にも同行している。1191年(建久2)大倉御所で火災が起こった際、頼朝は一時的に盛長屋敷に移ったという。1199年(正治1)頼朝死後、盛長は出家するが、2代将軍頼家の13人の重臣による合議制の中にも加わっている。
盛長の後、景盛・義景と続き、泰盛の時、執権北条氏外戚として勢威を振るうが、1285年(弘安8)8代執権時宗死後、執権家家宰である平頼綱と対立し、一族共に討たれた。「霜月騒動
安達氏は没落するが、その後頼綱の専横に危機感を抱いた9代執権貞時が頼綱が討つと、安達氏は復権した。
甘縄神明宮前が屋敷跡とされ、参道脇に屋敷跡碑が立つ。また境内にはこの地で生まれた8代執権北条時宗の産湯井戸が残されている。

参考文献   「鎌倉合戦物語 雄山閣出版」
                    「中世都市鎌倉 遺跡が語る武士の都 講談社」
訪城回数 1
2016年1月