赤堀城

赤堀城あかぼりじょう
群馬県伊勢崎市赤堀今井町2丁目
Mapion

--本丸北土塁--
別名 今井城
交通 各線「伊勢崎駅」からバス「赤堀支所前」下車。
バス停から徒歩10分。
築城年代 1350年(観応・正平)頃
築城者 赤堀直秀
形式 平城
主な城主 赤堀氏
赤堀氏は藤原秀郷の末裔と伝えられ、足利忠綱の弟泰綱の玄孫である教綱を祖とする。景時、そして子時秀の時、那波氏の圧迫等で衰え、領土を失うが、1351年(観応2)時秀の子赤堀(香林太郎)直秀は足利尊氏に従い、その戦功により旧領である香林郷を安堵されると、次いでこの今井の地も復し、赤堀城はこの頃築かれたものと考えられる。
1469〜86年(文明年間)親綱の時、那波宗政に城を奪われるが、金山城主横瀬氏(由良氏)の助力を得て復帰した。そして子景秀まで在城したが、その子時秀の時、城を棄てて金山へ退去したという。
その後赤堀城は後北条氏の支配下に入り、後北条氏家臣小菅摂津守が在城したが、1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めで後北条氏が滅亡すると、赤堀城も廃城となった。
粕川とその支流鏑木川との間に位置し、土塁に囲まれた本丸の北・東・南を囲むように二の丸が築かれている。二の丸は宅地化により僅かに堀跡が確認出来るだけだが、本丸は土塁や堀が比較的良く残されており、北虎口は喰違いになっている。
本丸 本丸に立つ案内板 本丸北空堀
本丸北虎口土塁 二の丸東堀跡 東側を流れる鏑木川

参考文献   「群馬県古城塁址の研究・上巻 群馬県文化事業振興会」
 「群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会」
「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2016年5月