太田金山城

太田金山城おおたかなやまじょう
群馬県太田市金山町
Mapion

--馬場下・虎口--
別名    
交通 東武伊勢崎線「太田駅」から登山口まで徒歩30分。
金竜寺から西城経由の登山道があります。
築城年代 1469年(文明1)
築城者 岩松家純
形式 山城
主な城主 由良氏(横瀬氏)
1469年(文明1)新田氏後裔である岩松家純が家臣横瀬国繁に命じ築城した。
横瀬氏は次第に主家岩松氏を凌ぐようになり、1528年(享禄1)横瀬泰繁・成繁父子は岩松昌純を討ち実権を握った。
1551年(天文20)上杉憲政が北条氏康に平井城を追われた後、横瀬氏は後北条氏に従うが、その後再び上杉氏に従い、後北条氏、上杉氏、武田氏との間で関係を保ちながら家名存続を図った。
1563年(永禄6)頃、横瀬成繁は由良氏を名乗るようになる。1573年(天正2)成繁は金山城を嫡男国繁に譲ると、桐生城に隠居した。
1584年(天正12)北条氏直に招かれた国繁は弟である館林城主長尾顕長と共に小田原へ向かうが、そのまま抑留され、金山城の明渡しを要求された。しかし2人の母妙印尼がこれを拒否した為、後北条勢は江田城反町城を拠点として金山城を攻めるが落とせなかった。しかしその後帰城させられた国繁は後北条氏に城を明渡して桐生城へ移り、金山城には後北条氏家臣が城主として置かれた。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻め後、金山城は廃城となった。

西城
見附出丸・堀切 西城・喰違い虎口
土塁側面に石垣が残る
喰違い虎口・土塁側面に残る石垣
西城 西矢倉台西堀切 西矢倉台下堀切
堀切 馬場下竪堀に架けられた木橋 馬場跡・物見台跡

本城(実城)
大手虎口 日ノ池 南曲輪から見る大手
本丸に建つ新田神社 本丸北西側の石垣 搦手堀切

坂中城
出城である坂中城 堀切

八王子砦
金山城から見た南方・中八王子山 比丘尼坂喰違い門跡(松風峠)
大八王子山から下る竪堀・石塁が
ここに達し更に本城へと延びていたが
現在は切通しとなり松風峠と呼ばれる
曲輪跡 中八王子山・横堀

参考文献 「現地案内板」
                         「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年2月