大阪府高槻市殿町 --城址碑-- |
別名 | |
交通 | JR東海道本線「高槻駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 鎌倉時代後期か |
築城者 | 芥川氏 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 能勢氏 |
平安時代末期以来、芥川宿を根拠とし、鎌倉時代にかけて幕府の御家人として成長した武士、芥川氏による築城と考えられる。 南北朝時代頃、芥川氏は北摂津国人一揆の中心的存在となるが、1467年(応仁1)応仁の乱の際、東軍に属し戦うが、西軍の将大内政弘に降り、その後その名は見られなくなる。 その後の芥川城については不明な点が多い。1504〜1520年(永正年間)管領細川高国配下である能勢因幡守頼則が芥川城主になったというが、この芥川城はここから北方にある三好山に新たに築かれた芥川山城と考えられ、こちらは平時の居館として用いられるようになったと推定されている。 城址一帯は宅地化され、城址碑が立つのみとなっている。 |