青山城

青山城あおやまじょう
山口県下関市田倉
Mapion
登山口地図

--南東から城址遠望--
別名 形山・面影山
交通 各線「新下関駅」からバス「田倉」下車。
地図の地点、東麓から登山道があります。
築城年代         
築城者 青山氏か
形式 山城
主な城主 高森正倫
築城年代は不明だが、青山弾正という人物が居住していたとされ、青山の名もそれに由来するという。
1527年(大永7)10月、城主高森正倫の時、北方尾根伝いの勝山城主内藤興盛と不和となり、勝山青山合戦が起きた。初め青山勢は津原善勝・津田興輝が加勢し、1万2千の軍勢で勝山城を包囲したが、その後大内氏の援軍を得た勝山勢は3万5千の大軍で逆襲し、青山城を四方から攻め立て、これを落とした。今日勝山地区に残される中世墓はこの時討死した将兵の墓と伝えられ、「青山くずれ」の墓として現在も供養されている。
標高288メートルの青山、別名長門富士に築かれている。山頂は無線中継所敷地となり、また車道が造成されている為、大きく改変されているが、西側と北側斜面に石垣や畝状竪堀が残されている。
本丸東側 本丸に建つ無線中継所 石垣
堀切 畝状竪堀 青山城・勝山城間尾根上にある
鎧石原古戦場

参考文献 「現地案内板」
                        「鳥取・島根・山口の城郭 新人物往来社」 
訪城回数 1
2015年3月