朝倉城

朝倉城あさくらじょう
兵庫県養父市八鹿町朝倉
Mapion
登山口地図

--本丸・櫓台跡--
別名          
交通 JR山陰本線「八鹿駅」からバス「小山」下車。
バス停から登山口まで徒歩10分。
築城年代 鎌倉時代
築城者 朝倉高景
形式 山城
主な城主 朝倉氏
朝倉氏は647年(大化3)天皇から異賊征伐を命じられ、その功により但馬国養父郡を賜った日下部表米親王を祖とし、平安時代末期にその15代後、宗高が朝倉氏を称したとされる。宗高の子高清は源平合戦の際、平氏方であったが、その後源頼朝に降り、所領を安堵された。そして高清の2男高景がこの朝倉城を築いたといわれるが、諸説あり、不明な点も多い。
1333年(元弘3)足利尊氏の六波羅攻めの際、朝倉広景・正景父子は尊氏部将斯波高経に従い活躍、1336年(延元1)越前国黒丸館へ移ると、その後斯波氏を追い、越前国一乗谷に本拠を構え、戦国大名へと成長した。
一方この地にも朝倉氏一族が残り、守護山名氏家臣に朝倉豊後守の名が見え、また戦国時代末期の朝倉城主は朝倉大炊であったとされるが、その後の消息は不明である。
標高152メートルの山頂を本丸とし、中央に櫓台が残され、三方には堀切が設けられている。小規模だが、城址は越前朝倉氏発祥の地として綺麗に整備されており、遺構も良く残されている。また麓には室町時代のものとされる宝篋印塔が立つ。
登山口に立つ朝倉宝篋印塔 本丸南帯曲輪 本丸南東虎口
本丸 本丸土塁 本丸からの眺め
本丸南堀切 南曲輪 北から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                          「ひょうごの城 神戸新聞総合出版センター」
                     「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2016年4月