芦田城

芦田城あしたじょう
長野県北佐久郡立科町茂田井
Mapion

--本丸--
別名 木ノ宮城
交通 長野新幹線・小海線「佐久平駅」から車で35分。
40号線沿いに案内板が有ります。
築城年代 鎌倉時代
築城者 芦田氏
形式 山城
主な城主 芦田氏
鎌倉時代、滋野系芦田氏によって築かれたと推測される。村上氏の佐久侵攻により、村上氏支配下であった小県の依田氏と高井の米持氏連合軍に攻められ落城、滋野系芦田氏は滅亡した。
その後領主となった依田又三郎光徳は、芦田に姓を改め、居館を芦田川を挟み、城と相対し構えた。5代目信守の頃、要害性から春日城へ移り、武田氏に従い、川中島や東海地方で戦功を挙げる。
6代目信蕃は武田滅亡後、徳川氏に従い、佐久地方統一の命を受け、岩尾城攻城の際に討死した。
本丸からの眺め 本丸北腰曲輪 本丸腰曲輪切岸にある石積み

参考文献 「現地案内板」
                    「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2007年4月