安宅本城

安宅本城あたぎほんじょう
和歌山県西牟婁郡白浜町安宅
Mapion

--安宅本城跡・石垣--
別名        
交通 JR紀伊本線「紀伊日置駅」から徒歩15分。
築城年代       
築城者 安宅氏
形式 平城
主な城主 安宅氏
1221年(承久3)承久の乱後、阿波・河内・紀伊の守護となった小笠原長清を祖とし、熊野水軍を率いて活躍した安宅氏平時の居館跡。安宅本城を中心とし、北は八幡山城、南は勝山城・古武之関、西は大野城、東は安宅崎砦が築かれ、外郭の出城として守りを固めていた。
安宅氏ははじめ阿波に居住していたが、9代頼春の頃、紀州に移り安宅氏を称したという。
1526年(大永6)安宅氏12代実俊が没すると、一族を二分する内乱が起こり、安宅氏は衰退した。
安宅小学校西側、小字「城の内」が城址。一帯は水田や宅地となっているが、堀跡と思われる窪地が確認出来、水田脇には石垣が残されている。
城址西側を流れる日置川
正面の山には南の守りである
勝山城が築かれている
堀跡か
正面左奥の小山は八幡山城
城址東側

参考文献 「現地案内板」
                          「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2013年8月