八幡山城

八幡山城やはたやまじょう
和歌山県西牟婁郡白浜町矢田
Mapion
案内板・登山口地図

--主郭下空堀--
別名 八幡山城(はちまんやまじょう)
交通 JR紀勢本線「紀伊日置駅」から登山口まで徒歩20分。
地図の地点、南西麓に案内板・登山口があります。
築城年代 室町時代か
築城者 安宅氏
形式 山城
主な城主 安宅次部太夫定俊
築城年代について定かでないが、安宅本城北の守り、又は詰城の役割を果たし、戦国時代には安宅氏一族の次部太夫定俊が居城したとされる。
1526年(大永6)安宅氏12代実俊が没すると、その子安定丸は15歳に満たなかった為、弟の次部太夫定俊が一時的に家督を相続する。その後1530年(享禄3)正月、八幡山城に登城した家老林対馬太郎が成長した安定丸へ家督を譲るよう定俊に進言するが、定俊は怒り、その場で林対馬太郎を討つ事件が起きた。これにより一族を二分する内乱となり、11ヶ月に及ぶ争いの末、八幡山城に籠もる定俊は安定丸に攻められ自刃した。この結果安宅氏は次第に衰退していく事となる。
安宅本城跡から北約1キロの小山、通称「次部平」が城址。規模の大きい横堀や土塁が良好に残されている。
二郭下横堀 虎口 二郭土塁
二郭土塁
石積みが残る
二郭に置かれている小石
投石用のものか
主郭
主郭土塁 主郭に立つ次部大夫大神碑 南西から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                          「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2013年8月