長野県茅野市玉川 --南西から城址遠望-- |
別名 | 粟沢館・和田城 |
交通 | JR中央本線「茅野駅」から徒歩25分。 |
築城年代 | 1159〜1160年(平治年間)頃か |
築城者 | 粟沢氏 |
形式 | 館 |
主な城主 | 諏訪越中守頼豊 |
東方、小泉山から続く丘陵末端部に位置し、上川を挟み、北西の鬼場城と相対する。 平治の頃、粟沢七郎が居住し、天文年間には上原城主諏訪頼重の従兄弟、諏訪越中守頼豊がここに拠り、武田信玄に従ったといわれる。 1582年(天正10)頼豊は鳥居峠の戦いで織田勢に敗れ討死するが、武田氏滅亡後に弟の頼忠は諏訪氏再興に活躍し、後に徳川家康に従った。 平治または鎌倉時代に築かれた方形館で、その後も大規模な城郭が築かれる事は無かったが、代々諏訪氏の支族が居住し、山浦地方の統治に重要な役割を持っていたと考えられる。 現在周辺は宅地化されているが、西側に城址碑が立つ土塁?と空堀跡と思われる地形が残る。 |
城址碑 | 城址碑背後には堀跡とも 思われる窪地もみられる |