上原城

上原城うえはらじょう
長野県茅野市ちの
Mapion

--本丸・はなれ山間堀切--
別名 古城
交通 中央自動車道「諏訪」ICから車で15分。
築城年代 1456年(康正2)頃
築城者 諏訪氏
形式 山城
主な城主 諏訪頼重
1456年(康正2)頃、諏訪大社上社大祝諏訪氏は祭政を分離し、諏訪信満は総領家としてこの上原城に入り、武士団政権を担当、大祝家は干沢城・前宮を根拠とし、祭祀を司る事となった。上原城の築城はこの前後と考えられる。
信満は1466年(文正1)頃から上原城中腹にを構え、上原郷に城下町を整備すると、以後5代70年余年に渡り、諏訪地方を統治した。
1518年(永正15)諏訪頼満は諏訪大社下社大祝を務める金刺昌春が籠城する萩倉の要害を攻略、昌春は武田信虎を頼り、甲州へ逃れた。以後諏訪氏は昌春を擁し諏訪侵攻の口実を得た信虎と争うようになるが、その後和睦し、1540年(天文9)諏訪頼重は信虎の三女を娶った。
1541年(天文10)家督を継いだ武田晴信は翌年瀬沢合戦で小笠原長時・諏訪頼重らに勝利すると、高遠頼継と結んで諏訪侵攻を開始した。頼重は上原城を捨て、支城である桑原城に籠もるが、講和が成立し、甲府に送られた。その後7月21日、頼重は切腹させられ、諏訪惣領家は滅亡した。
本丸・はなれ山間堀切 竪堀 三の丸に建つ金毘羅社
二の丸 二の丸・物見岩 本丸

参考文献 「現地案内板」
                    「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
2006年10月