滋賀県甲賀市土山町鮎河 --案内板-- |
別名 | 鮎河城伝承地 |
交通 | 各線「貴生川駅」からバス「鮎河口」下車。 |
築城年代 | 1334〜38年(建武年間) |
築城者 | 頓宮弥九郎 |
形式 | 館 |
主な城主 | 頓宮弥九郎 |
1334〜38年(建武年間)南朝方に属した頓宮弥九郎により築かれ、南朝軍反撃の拠点となった。 1338年(建武5)頓宮弥九郎は挙兵し、五辻宮守良親王と共に鮎河城に立て籠もったが、北朝方に属す佐々木秀綱に従った山中橘六・小佐治右衛門三郎・美濃部兵衛三郎らに攻められ、落城した。親王・弥九郎は岩倉城(信楽町)を経て和束(京都府)へ逃れ、その後再び鮎河城に籠るが、佐々木秀綱・小佐治連合軍に包囲され、庚申山(水口町)を経て和束に退いた。再々度弥九郎は鮎河城に拠るが、佐々木秀綱・山中・柏木氏に攻められ、落城したという。 地図の地点に鮎河城伝承地の案内板が立ち、南東の山上に築かれている鮎河城と一体となり機能していたと考えられる。また北側山上に築かれている高尾城も当時の砦跡と伝わるが、現況から両城共に戦国時代に入り、黒川氏により改修・利用されたものと考えられている。現在ほとんど水田となっており、堀跡と思われる地形や石垣も見られるが、遺構かは不明。 |
城址碑 | 鮎河伝承地城 | 上部は一面水田となる 正面の山上が高尾城 |