弁天台場

弁天台場べんてんだいば
北海道函館市弁天町、入舟町
Mapion

--函館山から遠望--
別名 弁天岬台場・弁天砲台
交通 函館市電「函館どつく前」下車。
築城年代 1863年(文久3)
築城者 江戸幕府
形式 台場
主な城主             
江戸幕府が函館港の防備の為、五稜郭と共に築いた台場。五稜郭と同様、蘭学者武田菱三郎が設計を務め、1856年(安政3)に着工、1863年(文久3)に完成した。
1869年(明治2)5月11日、新政府軍の函館総攻撃が始まると、弁天台場には新撰組隊士らが拠っていたが、15日食料と弾薬は尽き、守備隊240名は投降した。
1896年(明治29)港湾改良工事の為に台場跡は崩されたが、この時工事を請け負った工学博士広井勇は弁天台場の工法やその堅固さに驚嘆したと伝えられる。現在は案内板が立つのみで遺構は残されていないようであるが、石垣の一部が現在の函館漁港の護岸工事に使用され残されているという。

参考文献 「函館市史」
                       「北海道・沖縄の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年8月