埼玉県熊谷市東別府 --東別府神社に立つ東別府館碑-- |
別名 | 東別府館 |
交通 | JR高崎線「籠原駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 平安時代 |
築城者 | 別府二郎行隆 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 別府氏 |
平安時代、成田氏の祖である成田助高の2男行隆がこの地に移り、別府氏を称すと、その子義行から10代長清まで居住したといい、成田氏一族としてこの地方に勢力を保持した。 1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、長清は成田氏長と共に小田原城に籠もり、嫡男顕清は忍城に入るが、後北条氏滅亡後、別府氏は所領を失い、この別府城も廃された。 東別府神社が城址で周囲に土塁や堀が良好に残されている。すぐ東の香林寺は別府小太郎忠澄が父義久の為に建立したとされ、資料によってはこちらを別府城、東別府神社を東別府館と区別しているが、位置関係から同一の連郭式城郭であった、または時代による変遷ともいわれており、いずれにしても一族が居住したと考えられている。またここから西方には行隆の2男行助の居館である西別府館がある。 |
東別府神社(東別府館) | 境内に残る土塁 | 香林寺 |