田峯城

田峯城だみねじょう
愛知県北設楽郡設楽町田峯
Mapion

--城址遠景--
別名 田嶺城・蛇頭城・竜の城
交通 東名「豊川IC」から車で1時間。
築城年代 1470年(文明2)
築城者 菅沼定信
形式 山城
主な城主 田峯菅沼氏
山家三方衆の一人田峯菅沼氏居城。田峯菅沼氏の出自は美濃国土岐氏一族といわれ、作手村菅沼に移住した菅沼定直が称した事に始まり、1441〜1443年(嘉吉年中)菅沼定成の頃、田峯に移住した。そして1470年(文明2)定成の子定信が田峯城を築いて以来、代々田峯菅沼氏の居城となる。
5代城主菅沼定忠は、家老城所道寿と共に 武田方に従い、1575年(天正3)長篠合戦に出陣した。しかし武田方は敗れ、定忠は武田勝頼と共に田峯城に敗走するが、留守役の叔父定直と家老今泉道善は後難を恐れて謀反を起こした。その為入城出来なかった定忠・勝頼は武節城を経て、信州に敗走する事を余儀なくされた。
1576年(天正4)7月14日、定忠は恨みを晴らすべく田峯城に夜襲をかけ、謀反した一族96人を討ち、首謀者の今泉道善を処刑、田峯城を奪還した。
1582年(天正10)武田家滅亡後、定忠は家康に帰参を申し入れるが、同年5月、飯田知久平で牧野康成に討たれたという。田峯菅沼氏は菅沼定利(定忠の子?)が継ぐ事が許され、1590年(天正18)家康の関東移封に伴い、上野国吉井へ移った。
空堀 表曲輪 表曲輪から本丸方面
本丸枡形虎口 本丸からの眺め 道善畑(道善処刑の地)

参考文献 「現地案内板」
       「パンフレット」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2007年1月