藤戸古戦場

藤戸古戦場
岡山県倉敷市藤戸町藤戸

1184年(寿永3)12月
源範頼×平行盛
Mapion

--佐々木盛綱像--
交通 各線「倉敷駅」からバス「藤戸寺下」下車。
1184年(寿永3)2月、一ノ谷合戦に敗れた平氏は再び屋島に本拠を移すと、平知盛を大将とする別働隊を長門国彦島に置き、瀬戸内海の制海権を掌握しようとする。これに対し源頼朝は源範頼を九州へ向かわせ、東西挟撃を企図する。同年12月、九州を目指す源氏軍は山陽道の平氏拠点を攻略する為、当時小さな島が点在する海だったこの藤戸に着陣した。藤戸海峡を挟み、源平両軍は対峙するが、源氏方佐々木盛綱は漁夫に浅瀬を教えられると一番に海を渡り、先陣の功を立て、源氏軍を勝利に導き、平氏軍は屋島へ逃れた。
この合戦で盛綱は浅瀬の秘密を守る為、漁夫を討つが、翌年その母の嘆きを見て哀れに思い、藤戸寺で大法要を行ったとされ、写経を埋めた所は経ヶ島と呼ばれている。
藤戸合戦記念碑 藤戸寺 藤戸寺境内五重塔
藤戸合戦供養塔 佐々木盛綱像 Mapion
経ヶ島

参考文献  「現地案内板」
               「歴史群像シリーズ 学研」
2017年1月