長崎県壱岐市芦辺町箱崎大左右触 --南から城址遠望-- |
別名 | |
交通 | 「芦辺港」から徒歩20分。 |
築城年代 | 鎌倉時代 |
築城者 | 少弐資時 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 少弐資時 |
1274年(文永11)文永の役後、鎮西奉行少弐経資により守護代として壱岐防衛を命じられた3男資時居城と伝えられる。 1281年(弘安4)再び元が襲来すると、日本軍は瀬戸浦で激しく争うが、この合戦で資時は僅か19才で討死している。 その後日高大膳の居城となったとされる。 遠望のみに留め、遺構の確認はしていないが、城址には将軍地蔵堂が建っているようである。 |
少弐資時像 |