古市城

古市城ふるいちじょう
奈良県奈良市古市町
Mapion
城址碑地図

--城址碑--
別名  
交通 JR桜井線「帯解駅」から徒歩30分。
築城年代 室町時代
築城者 古市氏
形式 平山城
主な城主 古市澄胤
大乗院方衆徒の中で最大の勢力を誇った国人、古市氏居城。
南北朝時代末期に名の知られる古市胤賢は、既に大乗院方衆徒の代表格であり、子の胤仙は、1444年(文安1)当時、大和を二分して北の筒井勢力、南の越智勢力との対立が激化していた際、越智氏と結び大乗院前門跡安位寺経覚を擁し活躍した。
1475年(文明7)家督を継いだ澄胤は、同9年に奈良検断職に就き、大和守護代に相当する地位を築き、稲八妻城攻め等、山城国一揆崩壊にも一役買う。また蓄財に長け、京都の政界とも関係が深く、古市城には公家や文化人がしばしば来訪したといい、古市全盛期を築いた。
1497年(明応6)それまで没落していた筒井方が盛り返し、澄胤は城に火を放って山中に逃れ、古市城は破却された。その後澄胤は、細川政元の派遣した赤沢朝経・長経と結び国衆と対峙していたが、1508年(永正5)長経と共に敗死した。
以後古市氏は衰退し、やがて筒井氏傘下に組み込まれていった。
主体部は2つの台地上にあり、二の丸に相当する字古城は県営団地、本丸推定地の字上ノ段は東市小敷地となり、グラウンド南西隅に碑が立つ。南側は比較的地形が良く残り、字高山・字城山は出郭として用いられていたと考えられる。

参考文献 「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2009年5月