稲八妻城

稲八妻城いなやつまじょう
京都府相楽郡精華町大字北稲八間
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--小字城山付近--
別名 稲屋妻城・狛稲八妻城・狛稲八間城
交通 JR片町線「祝園駅」・近鉄京都線「新祝園駅」から徒歩20分。
築城年代 1469〜93年(文明年間〜明応2)
築城者 奥田甚助か
形式 平山城
主な城主 山城国人衆
1485年(文明17)の山城国一揆以来8年間、狛城主狛氏や椿井氏ら南山城の国人衆は一味同心して自治を行うようになった。
1493年(明応2)8月18日、山城国人衆大半は伊勢守貞宗を山城国守護職として認め、9月貞宗は山城国に入るが、細川方国人衆はこれに反対し、数百人がこの城に籠もり抵抗したといわれる。
9月11日貞宗から相良・綴喜2郡を与えられた古市城主古市澄胤は、大和国から大軍を率いて稲八妻城を攻め、17日落城したとされる。これにより国内はすべて貞宗の支配に入り、山城国一揆もこの戦いで崩壊したものとみられる。
武内神社裏山、小字城山にあったといわれるが、配水地敷地となり、立ち入り出来ず、遺構は不明。また国人衆が籠もった稲八妻城が小字城山にあったものなのかも明らかではない。城山南麓にある逆修の碑は国人衆との関連も考えられている。
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小字城山南麓にある地蔵石仏
地蔵石仏を中心に14基の五輪塔が
あり、合わせて逆修の碑と呼ばれる

参考文献 「現地案内板」
                  「京都新聞 HP ふるさと昔語り」
                 「日本城郭全集 人物往来社」
                        「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2009年5月