太尾山城

太尾山城ふとおやまじょう
滋賀県米原市米原
Mapion

--本丸--
別名   
交通 JR東海道本線「米原駅」から登山口まで徒歩10分。
麓の青岸寺(北城近道)又は湯谷神社(南城近道)からハイキング
コースがあります。
築城年代   
築城者 佐々木氏
形式 山城
主な城主 六角氏
南北朝時代、源頼朝が平家を滅ぼした際、佐々木氏は戦功により近江守護職に任ぜられ、この地は京都に通じる北陸、及び中山道の要路であった為、この城が築かれる。
1316年〜1326年京極高氏の支城となり、六角氏との勢力争いが繰り返された境目の城で、1561年(永禄4)浅井長政が六角方の吉田安芸守が守備していたのを攻め落とそうとしたが、叶わず引き返した。
1573年(元亀3)1月、織田信長は2万の兵力で佐和山城を攻め、次いで朝妻、太尾両城を攻撃し、太尾山城は灰燼と化した。
太尾山城は北城と南城の2つから成る別城一郭で、両城は100メートル程の尾根道で繋がっている。それぞれ規模はそれ程大きくは無いが、遺構は比較的良く残されている。

北城
城址から北西側の眺め 竪堀 南堀切

南城
北堀切 北曲輪・土塁 南堀切

参考文献 「現地案内板」
                   「近江城郭探訪 サンライズ出版」
訪城回数 1
2006年11月