五龍城

五龍城ごりゅうじょう
広島県安芸高田市甲田町上甲立
Mapion
城址入口地図

--本丸南下石垣--
別名       
交通 JR芸備線「甲立駅」から登山口まで徒歩20分。
地図の地点、宍戸司箭神社から登山道があります。
築城年代 南北朝時代
築城者 宍戸朝家
形式 山城
主な城主 宍戸氏
1333年(元弘3)常陸国宍戸に居た宍戸朝家は、足利尊氏に従い六波羅を攻略すると、翌年安芸守に任ぜられ、甲立荘を領し、移って来た。当初朝家は柳ヶ城に入るが、城として不適当とし、この元木山に移った。しかし元木山には水が無かった為、五龍王を勧請して祈願したところ、水が湧き出したので、名を五龍山と改めたという。以後五龍城は毛利氏の防長移封まで約250年間、宍戸氏本拠となった。
宍戸氏6代元家の頃、甲立盆地北方の中村氏や辺見氏らと争い、次第に勢力を拡大すると、1507年(永正4)7代元源の頃から西方の吉田郡山城主毛利氏と争うようになる。しかし1533年(天文2)8代隆家と毛利元就の娘との婚姻により和睦すると、毛利氏の勢力下に組み込まれていき、宍戸氏の所領は15万石にも及んだという。
1600年(慶長5)毛利氏の防長二州に移封の際、9代元続もこれに従い、五龍城は廃城となる。
城址は大きく宍戸司箭神社が建つ尾崎丸〜櫓の段までの「東郭群」・矢倉の段〜本丸までの「中央郭群」・御笠丸を中心とする「西郭群」の3つに分ける事が出来、それぞれ堀切で区切られており、同時期に築かれたのはなく、徐々に増築されていったものと考えられている。城域は広大で、崩れ落ちている箇所も多いが、石垣も確認出来、特に本丸土塁の石垣は綺麗に残されている。
尾崎丸に建つ宍戸司箭神社 一位の段 櫓の段
櫓の段西土塁 櫓の段西虎口 櫓の段西堀切
矢倉の段 姫の丸 本丸下石垣
本丸背後堀切 御笠丸 御笠丸土塁
御笠丸背後堀切・土橋 御笠丸背後堀切 池跡

参考文献 「現地案内板」
                    「広島・岡山の城郭 新人物往来社」 
訪城回数 1
2013年3月