兵庫県宍粟市波賀町上野 --復元された櫓-- |
別名 | 芳賀城・上野城 |
交通 | 各線「姫路駅」からバス「山崎」下車。乗り継ぎ⇒ 「山崎」からバス「斉木口」下車。 |
築城年代 | |
築城者 | 芳賀氏 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 中村氏 |
11世紀初め頃までこの地域は伯可荘として石清水八幡宮の荘園であった。波賀城の築城年代は不明だが、伯可荘の有力者であったとみられる芳賀氏により築かれたと伝わる。芳賀氏については芳賀七郎という武士が飼っていた名馬の噂が都まで聞こえ、献上せよとの命令が届くが、七郎は従わず、合戦になった際、「馬隠しの穴」に馬を隠し、戦うが討死したという伝説が残されている。 鎌倉時代に入り、武蔵国秩父郡から丹党(丹治党)の一族である中村氏が地頭として来住し、初代光時から戦国時代末期の吉宗まで20代にわたって居城したとされる。 1580年(天正8)羽柴秀吉が長水城を攻略すると、その落城と共に波賀城も廃城になったとされるが、発掘調査で出土した遺物から秀吉の播磨平定後も北の守りとして存続していた可能性も考えられている。 標高456メートル、播磨と因幡を南北に結ぶ因幡街道を眼下に望む城山に築かれており、波賀城史跡公園として整備され、内部が歴史資料館となる二層櫓や冠木門が復元されている。山頂の主郭を中心とし、急崖となる西を除く北・東・南に複数の帯郭が設けられており、特徴的な石積みも復元整備されている。 |
櫓台石垣 | 櫓台石垣 | 復元された櫓 |
西側の眺め | 石垣 | 主郭 |
主郭南帯郭 | 馬隠し | 西から城址遠望 |