羽黒城

羽黒城はぐろじょう
愛知県犬山市羽黒城屋敷
Mapion
城址入口地図

--城址碑--
別名 梶原館
交通 名鉄小牧線「羽黒駅」から徒歩10分。
地図の地点、興禅寺東向かいのアパート横に入口があります。
築城年代 1201〜04年(建仁年間)
築城者 梶原景親
形式 平城
主な城主 山内一豊
1201年(建仁1)鎌倉幕府御家人梶原景時・景高父子は、幕府に追われ討死したが、景高の子豊丸は、梶原家菩提寺の興禅寺があるこの地に逃れた。豊丸は景親と名を改めると、羽黒の館を築き、代々居住する。
景親から17代の末孫である梶原茂助景義は織田信長に仕え、羽黒村3千石の領主となったが、1582年(天正10)本能寺の変の際、信長に殉じ、梶原家は絶えた。
1584年(天正12)小牧合戦の際、羽柴秀吉は廃墟となっていたこの館を修築し、堀尾吉晴や母方の法秀院が梶原家の出生と伝えられる山内一豊らに守らせた。
城址は竹薮になっているが空堀が残り、また西側に建つ興禅寺裏手には土塁とも思われる土盛りが見られる。
城址遠望 城址 興禅寺

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2009年4月