1584年(天正12) 羽柴秀吉×徳川家康・織田信雄 --八幡林古戦場・野呂塚-- |
交通 | 名鉄小牧線「羽黒駅」から徒歩10分。 |
1583年(天正11)賤ヶ岳合戦で柴田勝家を破り、織田信長の後継者の地位を固めつつあった羽柴秀吉を警戒した織田信雄は、徳川家康と同盟し、秀吉と争う構えを見せ、1584年(天正12)3月6日、これを諌めた親秀吉派3家老を誅伐した。 3月13日、家康は清洲城に入り信雄と協議を行い、この時紀伊雑賀・根来衆や長宗我部元親、更に飛騨姉小路自綱や越中佐々成政にも呼びかけ、秀吉包囲の態勢が図られた。しかし大垣城主池田恒興は予想に反して秀吉に従い、犬山城を攻略する。 3月17日、功を焦った秀吉方森長可は3千の兵を率いて、この羽黒八幡林の地に進出し、陣を構える。そして未明から家康方酒井忠次ら5千と激しく争うが敗れ、犬山城に敗走した。 その後尾張に出陣した秀吉は犬山城に入城し、28日には家康が陣する小牧山城の北方、楽田城に入城し、田中砦・二重堀砦等を築いて小牧山を北・東から包囲する態勢をとった。 普通ここまでが小牧の戦いと呼ばれており、大きな戦闘が行われたのは八幡林(羽黒)での戦いだけで、両者それぞれ砦を構築し、対峙するのみに終わった戦いであった。この後合戦は長久手の戦いに続いていく事となる。 古戦場である八幡神社の北東に、合戦で討死した森長可家臣、野呂助左衛門戦死碑が立つ。 |
犬山城 | 小牧山城 徳川家康本陣 |
楽田城 羽柴秀吉本陣 |