花園城

花園城はなぞのじょう
埼玉県大里郡寄居町末野
Mapion
登山口地図

--本丸・二の丸間堀切--
別名  
交通 東武東上線「寄居駅」から登山口まで徒歩25分。
地図の地点にある神社裏から登山道があります。
築城年代 平安時代末期
築城者 藤田五郎政行
形式 山城
主な城主 藤田重利(康邦)
平安時代末期、猪俣政家の2男政行により築かれたとされ、藤田氏を称すると、以後重利まで15代藤田氏居城となった。
1532年(天文1)重利の時、天神山城を築いて移ったとされる。1546年(天文15)川越夜戦以降、北条氏康が勢力を広げると、重利は氏康の3男氏邦を養子として迎え、花園城と天神山城を譲った。そして自身は用土城に退いて用土氏を称した。
1560年(永禄3)頃、氏邦は北武蔵から上野方面へかけての拠点として、鉢形城を大改修して移ると、花園城は支城となる。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、鉢形城は豊臣方前田利家・上杉景勝・本多忠勝・真田昌幸らに四方から攻められるが、花園城もそれ以前に攻められ、陥落したものと考えられる。
南斜面竪堀の一つ 南斜面腰曲輪石積み 二の丸石積み
本丸・二の丸間堀切 本丸 本丸周辺にもいくつか石積みが残る
本丸西堀切 横堀 藤田氏の菩提寺である藤田善導寺
城址遠望

参考文献 「東京・埼玉の城郭 新人物往来社」              
訪城回数 1
2008年2月