1351年(観応2) 難波田九郎三郎×高麗彦四郎経澄 --古戦場案内板-- |
交通 | 東武東上線「鶴瀬駅」から徒歩60分。 |
南北朝時代、室町幕府では足利尊氏と弟直義との間に反目が続き、関東の武士団も両派に分かれ争っていた。 尊氏方に属していた高麗経澄は、宇都宮氏討伐の為、下野に下向中であったが、直義党根拠地である鎌倉の攻略に転じ、1351年(観応2)12月17日、武州鬼窪に兵を挙げると府中を目指し、鎌倉街道を進んだ。 19日直義方に属する難波田城主難波田九郎三郎は、付近一帯において迎え撃つが、難波田勢は敗北し、九郎三郎等、多くの部下が討死した。しかしその後尊氏と直義の和解により、難波田氏は再び栄えたという。 |