原田城

原田城はらだじょう
大阪府豊中市曽根西町4丁目
Mapion

--案内板・標柱--
別名 原田北城
交通 阪急宝塚線「曽根駅」から徒歩15分。
築城年代      
築城者 原田氏か
形式 丘城
主な城主 原田右衛門尉
築城年代については不明だが、室町時代末期に書かれた「足利季世記」によると、1541年(天文10)11月、管領細川晴元の家臣木沢長政が原田城を攻めたとの記述があり、少なくとも16世紀初頭には築かれていたと考えられる。この頃北摂では在地領主・浄土真宗門徒連合が、守護大名と争っており、旧原田郷の領主原田右衛門尉も参加していたが、1547年(天文16)細川晴元勢3万に攻められ滅亡した。
1578年(天正6)織田信長が有岡城に籠もる荒木村重を攻めた際、付城として利用されている。
遺構として土塁が残されているようだが、私有地の為確認出来なかった。また南東300メートルには南城が築かれていたというが、こちらも宅地化されている。
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原田右衛門尉供養塔
天文16年2月3日の銘がある
日本民家集落博物館敷地内

参考文献 「現地案内板」
                     「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2011年7月