青森県八戸市内丸1丁目1 --城址碑-- |
別名 | |
交通 | JR八戸線「本八戸駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | 1629年(寛永6) |
築城者 | 南部利直 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 南部直房 |
八戸城の起源は、根城南部氏2代政長の3男信助が根城の支城として築いた「中館」に始まるとされる。 1627年(寛永4)根城南部氏22代直義が遠野へ移った後、八戸は三戸南部氏直轄地となり、盛岡藩初代藩主である南部利直により城郭や市街地の普請が行われる。 1664年(寛文4)盛岡藩2代藩主南部重直は子が無いまま没した為、幕府は盛岡藩10万石の内、盛岡8万石を重直の弟重信に、八戸2万石を直房に与えた。ここに八戸藩は誕生し、初代藩主直房により八戸城及び市街地は本格的に整備される。以後明治まで八戸氏(南部氏)12代の居城となった。 八戸城は館や陣屋に近いものであったといい、近代城郭として整備されないまま廃城となった。現在城址は市街地に埋もれ、本丸跡である三八城神社・三八城公園に土塁跡と思われる高まりや土手が残るのみとなっている。 |
三八城神社 | 本丸に立つ碑 | 本丸は三八城公園となる |
八戸藩初代藩主・南部直房像 | 八戸城角御殿表門 現南部会館表門 |
惣門跡 |