鍋倉城

鍋倉城なべくらじょう
岩手県遠野市遠野町5地割
Mapion

--本丸・二の丸間堀切--
別名 横田城
交通 JR釜石線「遠野駅」から徒歩15分。
築城年代 1573〜92年(天正年間)
築城者 阿曽沼広郷
形式 山城
主な城主 阿曽沼氏・遠野南部氏
戦国時代、阿曽沼氏により築かれたとされる。阿曽沼氏の出自については諸説あるが、1189年(文治5)奥州征伐で活躍した阿曽沼広綱が遠野12郷を与えられると、1213〜19年(建保年間)その子親綱が遠野に入部し、横田城(松崎町)を築いたとされる。以後遠野は代々阿曽沼氏が支配し、1573〜92年(天正年間)広郷の時、この鍋倉山に新城を築いて本拠を移したといい、こちらも横田城と呼ばれていた。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原征伐の際、阿曽沼氏は参陣しなかったが、南部氏付庸として仕置きを免れた。しかし1600年(慶長5)関ヶ原合戦の年、広郷の跡を継いだ広長が南部利直に属して山形へ出陣の留守中、一族の鱒沢広勝らが謀反を起こし、遠野を占拠した。これは南部氏の謀略だったともいわれ、その後鎌倉時代より続いた阿曽沼氏は没落し、遠野の地は南部氏治下に入った。
こうして横田城には南部氏城代が置かれたが、治安の乱れが続いた為、1627年(寛永4)利直は一族の八戸領主南部直義に遠野転封を命じた。この時横田城は直義により改修され、鍋倉城と改称されると、明治に至るまで240余年、遠野南部氏が続く事となる。
現在城址は鍋倉公園として綺麗に整備されている。最高所の本丸を中心とし、南に二の丸、北東に三の丸が設けられ、北側には沢里・工藤氏の重臣屋敷跡がある。一部公園化により改変されている箇所もあるが、遺構は良く残されている。
沢里屋敷跡 本丸・三の丸間堀切 三の丸に建つ展望台
展望台からの眺め 大手門跡 本丸表玄関跡
本丸 本丸・八幡神社跡 本丸土塁
本丸搦手門跡(南部氏時代) 搦手横堀 二の丸

参考文献 「現地案内板」
                         「青森・岩手・秋田の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年9月