日ノ出城

日ノ出城ひのでじょう
山梨県韮崎市穂坂町三之蔵
Mapion

--城址碑--
別名 日之城・鷹巣城・向原砦・絵見堂山砦
交通 JR中央本線「韮崎駅」からバス「絵見堂」下車。
バス停から徒歩25分。
高速道路にかかる砦橋東側に城址碑があります。
築城年代 1394〜1428年(応永年間)
築城者    
形式 平山城
主な城主 日一揆
1416年(応永23)甲斐守護13代武田信満が女婿にあたる上杉禅秀の乱に巻き込まれ天目山(甲州市)で自刃すると、甲斐国は守護不在となり、一族の逸見有直が勢威を振るった。
武田氏再興の為、日一揆と呼ばれる小豪族連合は信満の次男信長と結び、逸見・跡部両氏に与し敵対する輪宝一揆と争った。この日ノ出城は日一揆の拠点となり、抗争が繰り返されたが1433年(永享5)4月信長・日一揆は荒川原で輪宝一揆に大敗を喫した。
1582年(天正10)武田氏滅亡後、甲斐・信濃諏訪郡の領主となった河尻秀隆が武田家旧臣や農民等の国人一揆により討たれると甲斐国は一時的に無主地となり、徳川家康と後北条氏が領有を巡り争った。この時新府城に入った家康は荒廃していた日ノ出城や堂ヶ坂砦を修築し、後北条勢に備えた。「天正壬午の乱
城址は耕作地となっている。空堀や土塁が残されているようだが、藪の箇所も多く、遺構は確認出来なかった。トリテ・土居・官女屋敷・牛が馬場等の地名が残る。

参考文献 「現地案内板」
                    「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年9月