平林城

平林城ひらばやしじょう
新潟県村上市平林
Mapion

--二郭・三郭間空堀--
別名     
交通 JR羽越本線「平林駅」から徒歩25分。
築城年代 1190〜1198年(建久年間)頃か
築城者 平林氏
形式 館城・山城
主な城主 色部勝長
伝来文書によると、1190〜1198年(建久年間)頃、豪族平林内蔵介代々の居城であったとされる。しかし南北朝動乱の際、新田義貞に属した平林氏は、色部氏に攻められ、以後平林城は色部氏代々の居城となる。
1507〜1514年(永正4〜11)越後守護代長尾為景の下剋上の乱である「永正の乱」の際、色部氏は反為景派に回り、1508年(永正5)為景方と争い、「平林要害」は落城している。
為景に属した後、景勝に至るまで色部氏は上杉政権下において隠然たる実力・自主性を保持した。
1598年(慶長3)光長の時、上杉景勝の会津転封に従って米沢金山城へ移り、平林城は廃城となった。
平林城は平野に望む台地端の居館部と背後の要害山から構成され、要害山へは二郭東側から登山道があるが、今回は未見。居館部は良好に遺構が残されている。
三郭西城塁・堀跡 三郭北門跡 三郭南門跡
三郭(岩館曲輪) 三郭土塁 大手枡形
主郭・二郭間堀 主郭虎口 主郭
主郭土塁 二郭東堀 二郭東にある要害山登山口

参考文献 「現地案内板」
                        「新潟・富山・石川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2011年4月