平塚城

平塚城ひらつかじょう
東京都北区上中里1丁目
Mapion

--平塚神社--
別名 豊島城
交通 JR京浜東北線「上中里駅」から徒歩5分。
築城年代 鎌倉時代
築城者 豊島近義
形式 平山城
主な城主 豊島泰明
1476年(文明8)長尾景信没後、山内上杉顕定は景信の弟忠景を跡に据えた。これに不満を持った嫡男長尾景春が鉢形城に籠もると、石神井城主豊島泰経と、その弟である平塚城主豊島泰明はこれに呼応した。
翌9年4月13日、扇谷上杉氏家宰太田道灌は、泰明が籠もる平塚城を攻め、14日泰経は救援に向かった。泰明も城を出撃し、道灌は一度兵を引いて友軍と合流し、江古田・沼袋で合戦が行われた。激戦の中、泰明は討死し、泰経は石神井城へ敗走する。
道灌は石神井城へ迫り、18日城を取り壊す条件で和議を求めるが、泰経はこれに応じなかった為、28日道灌は攻撃を開始した。泰経は夜陰敗走して平塚城に籠もったが、翌文明10年道灌はこれも落とし、泰経は小机城へ敗走した。道灌は2月6日から約2ヶ月小机城を攻め攻略し、豊島氏は滅亡した。
平塚神社境内から見る「蝉坂」
道灌勢が攻め上がった坂と伝えられ
「攻坂」が後年訛ったものといわれる

参考文献 「現地案内板」
                「日本城郭全集 人物往来社」
                    「東京・埼玉の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2007年9月