人吉城

人吉城ひとよしじょう
熊本県人吉市麓町
Mapion

--北西から城址遠望--
別名 相良城・織月城・三ヶ月城・涅槃城
交通 JR肥薩線「人吉駅」から徒歩25分。
築城年代 平安時代末期
築城者 相良氏
形式 山城
主な城主 相良義陽
人吉城ははじめ平頼盛の代官矢瀬主馬助がいた城であったが、遠江国(静岡県中部)相良出身、相良長頼が1198年(建久9)人吉荘の地頭となり、在城していた矢瀬氏を滅ぼし入城し翌年から修築したとされる。
中世の人吉城は原城といわれる東南台地上にあり、人吉城が近世城として整備されたのは1589年(天正17)からで、何度か中断されながら51年後の1639年(寛永16)に完成した。
相良氏は義陽の頃大隈・芦北・八代・天草まで支配していたが、島津氏の北上で薩摩・大隈を失い、1581年(天正9)水俣で敗れた。その結果子である頼房(長毎)を人質として差出し、芦北郡割譲と甲斐氏攻撃を条件に下り、同年12月義陽は盟友甲斐宗運と戦い討死した。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、頼房は西軍に属しながら、重臣犬童頼兄(清兵衛)の力もあり、本領を安堵されている。その後も明治に至るまで相良氏は続き、鎌倉時代から700年命脈が保たれた稀な大名の一つとなった。
武家屋敷隅櫓・長櫓 大手門横長櫓 武者返し石垣
欧州の築城技術である
槹出(はねだし)工法で築かれている
水ノ手門跡 御下門跡石垣 三の丸虎口石垣
二の丸石垣 二の丸枡形虎口 二の丸虎口
二の丸から見る三の丸虎口 二の丸から三の丸・人吉市街方面 本丸

参考文献 「現地案内板」
                         「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2008年1月
2011年9月